News

ニュース

2023.12.27

東アジア藝文書院(EAA)トークシリーズ「アートを通じて空気をする」第5回開催案内(Doing Air through Arts)


【日時】
2024年1月18日(木)18:15–20:00

【開催形式】
ハイブリッド形式(会場:東京ミッドタウン八重洲4階 東京大学八重洲アカデミックコモンズ+オンライン(Zoom))

【参加事前登録】
登録必要(参加費無料)
こちらのフォームより事前登録をお願いします
登録締切はセッション当日1月18日(木)の16:00(午後4:00)です
*お早めにご登録頂きました方々につきましては、1月16日頃までを目処に、ご登録のメールアドレスに会場案内あるいはオンラインアクセス案内を送付いたします
*会場参加の定員は40名です
*会場参加登録は先着順とし、定員に達し次第、受付を終了させて頂きます

【イベント名】
東アジア藝文書院(EAA)トークシリーズ「アートを通じて空気をする(Doing Air through Arts)」 第5回「「ナチュラルな空気」が失われるとき」

【主催】
東アジア藝文書院(EAA)

【後援】
ダイキン東大ラボ

【開催趣旨・概要】
現代アートは、作家が鑑賞者に対して美しいものを提供する一方的な営みではありません。それらはむしろ、私たちにとってある種の仕掛けとして機能しています。鑑賞者は知らぬ間にそれらの世界に巻き込まれ、作品の一部となり、あるいは作品の終わりなき創造者となってゆくのです。それゆえに、現代アートは、自ずとその時々の社会状況や人々が直面している問題などを映し出し、内在化しています。それらは、気候変動、貧困、争い、分断等を巡る難題を抱えた私たちに、問題解決のための気づきや発想の転換を促してくれる仕掛けとして生きています。
本トークシリーズでは、そのような現代アートから見える物理的な空気、あるいは雰囲気としての空気をテーマにして、日頃気にかけることのない空気の世界について考えてみたいと思います。毎度アーティスト、美術批評家、キュレーター等の方々を2名ずつお招きして、制作過程における空気、制作過程において遭遇した空気、あるいは「空気をする(doing air)」体験についてお話し頂きます。シリーズ全体を通じて、あまり意識されることのない空気を取り巻く多様なつながりや影響関係等を現代アートとともに追体験し、空気がいかに人々や動植物等の「協存」「協同」を促進しているかについて議論してみたいと思います。

第5回は「「ナチュラルな空気」が失われるとき」です。

アーティストの永田康祐さんと文化人類学者の藤田周さんをお招きします。
本セッションは、食を巡る(とりわけ意味論的な)世界を訪れることからはじまります。永田さんと藤田さんは、インスタレーション、パフォーマンス、民族誌的調査などを通じて、食を取り巻く行為や交換などを成り立たせているヒトとモノとの連関、ロジック、権力関係などを浮かび上がらせることに関心があります。本セッションでは、永田さんと藤田さんに各々の作品や研究についてご講演頂くとともに、食(文化)の背後にあるものを眺めることで見えてくる空気、とりわけ「ナチュラルな空気」についてご議論頂きます。

〇ゲストスピーカー
永田康祐
1990年愛知県生まれ、神奈川県を拠点に活動。自己と他者、自然と文化、身体と環境といった近代的な思考を支える二項対立、またそこに潜む曖昧さに関心をもち、写真や映像、インスタレーションなどを制作している。近年は、食文化におけるナショナル・アイデンティティの形成や、食事作法における身体技法や権力関係、食料生産における動植物の生の管理といった問題についてビデオエッセイやコース料理形式のパフォーマンスを発表している。主な個展に「イート」(gallery αM、東京、2020)、グループ展に「見るは触れる 日本の新進作家 vol. 19」(東京都写真美術館、2022)、あいちトリエンナーレ(愛知県美術館、2019)など。

藤田周
1991年生まれ。文化人類学者。東京外国語大学特任研究員。ペルーの現代料理レストラン、セントラルでのフィールドワークから料理や感覚、芸術について研究している。論文などに 「料理の潜在的次元に向かって——ペルーの現代料理レストランにおける「新しい料理」の創造と「おいしさ」の探究」『文化人類学』88号2巻(2023)、「食の批評を始めるために——現代料理と、二項対立というフィクション」『遅いインターネット』(2023)、「食とアート:アートとしての現代料理を楽しむために」『Tokyo Art Beat』(2022)がある。

〇トークシリーズ全体の論点
物理的な空気、あるいは雰囲気としての空気を認識する行為は、往々にして何らかの出来事を伴っている。そのような出来事の積み重ねが人々にとっての空気の世界をつくり上げているとすれば、それらは行為主体である生身の人間や共同体の中に織り込まれている。誰かの空気は誰しもの空気ではない。それらはむしろ、相対的な世界である。
現代アートは、私たちの知らない空気、まだ見ぬ空気を可視化しているであろうか?個々の、あるいは共同体の経験に織り込まれた空気の世界を表現しているであろうか?それらが内包する人間以外の存在を含んだ他者性は、現代アートを通じていかに前景化されているであろうか?
詰まるところ、現代アートは、空気を取り巻く意識上隠されたつながりや影響関係を浮かび上がらせているであろうか?そして、空気はいかに人々や動植物等の「協存」「協同」を促進しているであろうか?

【お問合せ】
東アジア藝文書院(EAA) URL:https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp
担当:野澤俊太郎
nozawa★g.ecc.u-tokyo.ac.jp(★を@に置き換えてください)